コンセプト・マッピングは定性情報の分析を数理的手法を用いて精緻に行います。従来の定性情報の分析には、日本国内ではKJ法、海外ではGrounded Theory Approach(GTA: データ対話型理論のアプローチ)があります。コンセプト・マッピングは、これらのアプローチの本質的原理と数理的手法を組み合わせるものです。
我々はすべてのことを自分の意識で判断していると思い込んでいるのですが、じつは大部分の情報処理は無意識で行われており、意識はその結果を承認しているだけだということが、脳科学の研究でわかりつつあります。我々は日常、言葉で思考をします。ビジネス等での定性情報の分析も言葉で行いますので、それは我々の日常の思考とほとんど変わりません。そこでどのようなことが起きているかというと、我々は自分で物事を考えているようで、じつはほとんど考えておらず、あらかじめ決まった結論に適合するように、辻褄合わせの思考をしてしまうということです。
20世紀以降の世界ではマスメディアによる洗脳効果は凄まじく、我々の意思決定にそれが強く影響しています。企業の事業戦略や個別の施策を考えるときにも、そのような強いオピニオンに知らず知らず引き込まれていることがあります。俗にいう「思考停止状態」で、自分で事実をよく吟味することなく、無意識のうちに借り物の考えに沿って、物事を判断してまうというのが人間の愚かさです。
こうしたことにいち早く気づていたのが哲学者のエトムント・フッサール(1859-1938)で、彼は「事象そのものへ」(Zu den Sachen selbst!) という目標を掲げて、現象学という哲学を創始しました。この考え方は、多くの哲学者、科学者、芸術家、文筆家に影響を与えました。実存主義の哲学や印象派の絵画なども少なからず影響を受けており、民俗学や社会学などのフィールド調査を行う学問領域では、現象学的アプローチを実践する手法として、前出のKJ法やGTAが考案されました。
どちらの手法もたくさんのアイデアやメモの断片を収集して、それらを一旦ばらばらに置いて、全体的な類似性でグルーピングを何度も繰り返し、グルーピングが収束したころで、グループ内の共通特性を抽出し、最後にグループ同士や特性間の関係性を説明することで完成、というプロセスを辿ります。しかし、実際に実践してみると、人間の作為なしで行うことは不可能なことに気づかされます。
現象学について正面から議論すると深い沼にはまってしまうので、それは避けたいのですが、現象学の本質的な弱点は、ずばりそれを言葉で表現していることです。哲学者は、さまざまな独特な用語を生み出します。哲学者本人はそれを厳密に定義して使っているつもりでも、それを他の人が使うときには誤解が生じてしまい、さまざまな人がさまざまなことを言っているうちに収拾がつかなくなった、というのが20世紀の状況だったかと思います。
もっとも難解で実践が難しいとされたのが「エポケー」(判断を差し控えるという意味)で、「括弧に入れる」という言い回しが使われたりしました。要するに先入観を捨てるとか、既成概念を使用するのを一旦停止するということなのですが、言葉上でそれを言っているかぎりは、単なるスローガンのようなもので、実践不可能に陥ります。そこから抜け出す1つの方法として、画家がデッサンをするときの内面的態度が有益です。つまり、描いている対象について「それは何なのか」の意識を一旦封印して、自分が体験している「像(イメージ)」を忠実に再現することに集中します。フッサールが言うエポケーとはそういう態度だと考えることができます。
人間が何を創造しようとするとき、既成概念を作為的に操作するのではなく、既成概念を一旦封印したうえで、観察可能な事象を忠実にトレースして、そこに自然と浮かびあがる知見とかアイデアを受け入れるというのが効果的です。
結局のところ、定性情報を分析する場合、人間が言葉を用いて思考すると、それはすでに「概念」を用いているので、迷路から抜け出せないのです。したがって、そこから一旦離れるために、我々は言葉をベクトルに変換して、コンピュータ上でベクトルをクラスタリングすることで概念を再構築するのです。KJ法やGTAでは人力でアイデアを分類するのですが、コンセプト・マッピングでは、それを一旦人間の手から離すことで、実践不可能だった「エポケー」を実現します。